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■TV Guide誌

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【Scans by me】
【無断転載はご遠慮ください】


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★コメントを寄せた人たち

製作スタッフ:
John Wells, Warren Littlefield, Steven Spielberg, Christopher Chulack, David Zabel

キャスト:
Anthony Edwards (マーク), Noah Wyle(カーター), Sherry Stringfield (スーザン), Eriq La Salle (ベントン), Julianna Margulies (キャロル), George Clooney (ダグ)(※1995年の発言の再録), Abraham Benrubi (ジェリー), Gloria Reuben(ジーニー), Ming-Na (チェン), Laura Innes (ウィーバー), Alex Kingston (コーデイ), Kellie Martin (ルーシー), Goran Visnjic (ルカ), Maura Tierney (アビー), Mekhi Phifer (プラット), Parminder Nagra (ニーラ), Linda Cardellini (サム), Paul McCrane (ロマノ), Shane West (レイ), Scott Grimes (モリス), John Stamos (ゲイツ), Troy Evans (フランク), David Lyons (ブレナー), Angela Bassett (バンフィールド)
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■古典(作品)(=ER)の解剖学
カウンティ・ジェネラルのスタッフたちの言葉による、テレビ界最高の医療ドラマERについての素晴らしい実話!

William Keck & Ireane Rudolph

1992年、マイケル・クライトンとスティーブン・スピルバーグは恐竜たちに気をとられていました。後に「ジュラシック・パーク」になることになるそのプロジェクトは、彼らのイマジネーションを、長年計画していた都市中心部の病院の救急救命室の外傷 -肉体的、心理的両方の -に関するドラマからそらしました。ヴェロキラプトル以外に割く時間がわずかしかない中で、彼らはその病院映画のスクリプトをテレビプロデューサーのジョン・ウェルズに送りました。悪くないシリーズ(ドラマ)が作れるかどうかと思っていたのです。
ジョン・ウェルズ(エクゼクティブ・プロデューサー 1994-2009) マイケルと私はスクリプトの手直しに数ヶ月をかけ、うまくいくと思いました。(しかし)ネットワーク局全局がパスしたんです。2度ずつ。
ウォレン・リトルフィールド (NBCエンタテイメント部門プレジデント、1990-98) (スクリプトは)ボストンの救急救命室が舞台で、160ページありました。とにかくごちゃごちゃでしたよ。NBCでは果たしてこれが番組になるのかとの議論がありました。視聴者はこれを受け入れられるか、と? 
ジョン・ウェルズ 生々しすぎる、視覚的に混乱させられる、とNBCは思ったんですね。
スティーブン・スピルバーグ (監督、ERエクゼクティブ・プロデューサー) 実を言うと、あのテレビのスクリプトは、劇場映画として私が意図していたバージョンより生々しいものでした。
ウォレン・リトルフィールド 私が変更を強く主張したのはボストンという病院の所在地で、「どの都市を選ぼうと構わないが、"St. Elsewhere" (※1982~86年まで続いた、ボストンの病院が舞台のドラマ。デンゼル・ワシントンもレギュラーだった)からだけは離してくれ」と言いました。シカゴが好きだとジョン・ウェルズが言い、「OK、決まりだ」と私。 同じ年のCBSの医療もののパイロット版が「シカゴ・ホープ」だとは、もちろん知りませんでした。

1994: ドクターたちがスクラブ・イン
ジョン・ウェルズ 他のパイロット版と契約があったジョージ・クルーニーを私は考慮に入れてはいませんでしたが、彼はネットワーキング(人とのつながり)の名手なのです。私に電話をかけてきて、「(スクリプトを)読んだ。素晴らしいと思うし、自分ならとてもうまくやれると思う」と言いました。その後やって来て、息子を虐待する女性に食ってかかるというパイロット版からのシーンを演じて見せました。彼は私たちが採用した最初の人物です。
スティーブン・スピルバーグ 編集用のジョージのフィルムを見た時には、映画プロデューサーたちが番組を襲撃して彼をかっさらっていってしまうのではと心配しましたよ。
アンソニー・エドワーズ(マーク・グリーン 1994-2002) テレビシリーズに縛られるのは恐ろしかったのですが、スクリプトの素晴らしさは明白でした。妻とエージェントに「クライトンが書いて、スピルバーグが若くて勢いのあるジョン・ウェルズと一緒にプロデュースする。彼らと話をすべき」と言われたのです。
ノア・ワイリー(ジョン・カーター 1994-2005、ゲストとして2006-2009) テレビの仕事には興味がありませんでした。スクリプトが送られてきてキャラクターについて懸命に理解を深めましたが、映画のスクリプトだと思っていたのです。長さが2時間ありましたから。実はテレビシリーズだと分かり、早々に打ち切られるのではと思いました。手っ取り早い、いい収入になるだろうと。
シェリー・ストリングフィールド (スーザン・ルイス 1994-96、2001-2005) 「NYPDブルー」を降板したばかりでコロラドで休暇を過ごしていた時にエージェントが電話してきて、「絶対にトライするべきマイケル・クライトンのスクリプトがある」と言われたのです。スクリプトを読んで、「これが実現するなんてあり得ない」と思いました。ものすごい速さ(ペース)で、医学を(いちいち)説明していなかったのです。
ジョン・ウェルズ パイロット版の撮影はベントン抜きでスタートしました。エリク・ラ・サルは3日目までキャスティングされなかったのです。
エリク・ラ・サル(ピーター・ベントン 1994-2001) 出演していた "The Human Factor" というタイトルのディック・ウォルフの番組で使った外科用スクラブの残りを持っていたので、私はそれを着てオーディションに臨みました。
ノア・ワイリー パイロット版はロサンジェルスの打ち棄てられた病院で撮影しました。大きくて、古くて、今にも崩れそうな、幽霊だらけの病院です。僕はほんの若造で、下っ端でした。
ジュリアナ・マルグリース (キャロル・ハサウェイ 1994-2000) パイロット版で私はゲスト出演でした。キャロル・ハサウェイは死ぬはずだったのです。7日間仕事をし、3分か4分ほどの登場時間がありました。パイロット版の演出家ロブ・ホルコムはジョージのキャラクターの目を通してキャロルの自殺未遂を描き、他の複数回登場キャラクターたちから持ち上げ(浮かび上がらせ?)ました。
アンソニー・エドワーズ なじみのない医療器具の数々をどのように使うかを大急ぎで詰め込むコースつきの技術リハーサルがありました。針の持ち方。縫合のやりかた。ドクターのフリをものすごく巧みになさなければならないのです。
ノア・ワイリー パイロット版撮影後、番組がピックアップされたか(本放送が決まったか)どうかの結果待ちの間に ジョージとエリクと自分は一緒にヨーロッパを旅行しました。戻った時にはとても親しくなっていましたよ。
エリク・ラ・サル ノアと自分の間には絆が生まれました。自分たちにはただ、素晴らしい「ケミストリー」(相性のよさ)があって、脚本家たちもたちまちそれを見抜きました。番組では師弟関係を描く必要があり、我々がその顔になったわけです。
ノア・ワイリー ジョージとアンソニーが残りのキャストに向けて一席ぶったスピーチのことを今でもありありと思い出します。全員が互いを尊重しあう番組になること。ディーバ(女王サマ)の居場所はないし、きちんと準備をしてセットに入ること。
スティーブン・スピルバーグ パイロット版をチェックし、ウェルズに電話して言いました。「これは売れる。ずっと続くよう願うよ」と。
ウォレン・リトルフィールド 大体の編集がなされたカットをNBCで試写しました。アドレナリン噴出でしたが、全員に受けが良かったわけではありません。血だらけだし、言葉(医学用語)の問題もありますし。しかし、モニター視聴者のテストの結果は非常に高いものでした。
アンソニー・エドワーズ パイロット版をネットワーク局に届けたら、「これはイカれてる。誰も見ないだろうよ」と言われたのが本当のところです。ドン・オルマイヤーとウォレン・リトルフィールドはキャラクターの数が多すぎて複雑すぎると考えたのです。でも、テスト視聴者の反応を知ると、それは間違いだったと気付いたのがNBCが賞賛に値する点ですね。
スティーブン・スピルバーグ ラフカットを見た後で、ジュリアナ・マルグリースを死なせるべきではないとマイケルとジョン・ウェルズに勧めました。
ジョージ・クルーニー【テレビガイドへの1995年のコメント】 ウォーレン・リトルフィールドと話しにニューヨークへ行った時、「ジュリアナが死ぬのは残念だ」と彼に言いました。そうしたらやがて、ネットワークにありがちな展開で「彼女は必ずしも死んだとは限らない」ってね。
ジュリアナ・マルグリース ジョージから自宅に電話がかかってきて、「君は戻ってくると思うよ」って言われたんです。

1994-1995: アメリカじゅうがチェック・イン
ウォレン・リトルフィールド ERのプレミアは月曜夜の2時間映画としてABCのフットボールの裏で放送されました。27というまずまずのシェア(※その時間にテレビを見ていた世帯のうちの占有率)を獲得し、木曜の夜に移ってからは数字は上がり続けました。
スティーブン・スピルバーグ ERと「シカゴ・ホープ」が木曜日に(同時間帯で)ぶつかっているのは私には葛藤でした。(「シカゴ・ホープ」のプロデューサー)デービッド・ケリーは良き友人だからというのが主な理由です。しかし、それはCBSとNBCの戦いだったのです。
ジョン・ウェルズ 結果的には、「シカゴ・ホープ」との対決はいいことでした。たとえ「となりのサインフェルド」がリードイン(※直前の時間帯の同じ局の番組)でも、私たちの方がアンダードッグ(劣勢)だったからです。マスコミは我々がぼろ負けするかのような報道をやっていましたね。
ウォレン・リトルフィールド こちらの数字は週を追うごとに上がり続けました。我々は大いに燃え、決して振り返らなかった。
ノア・ワイリー シェア40を初めて突破した時を覚えています。「これっていいこと?」って言ったんです。
シェリー・ストリングフィールド NYを好きなように歩き回れていたのに、突然、パリにいても人々が私に気付くようになったのです!
アブラハム・ベンルビ(ジェリー・マーコヴィック 1995-99、2002-06、2008-09) 第12話までには番組はナンバーワンになっていました。キャストたちがテレビ界の人気者になってゆくのを見るのは本当に素晴らしかったですね。
ジョージ・クルーニー 【1995年、TVガイドに】 自分のキャリアでこんなことが起こるなんて考えたこともありません。長年に渡って数多くの失敗作に出ていたから。基本的には、最悪なソープオペラに出る羽目になるまでの時間を2,3年稼げたというところですね。
アンソニー・エドワーズ とても幸せで楽しい日々でした。We would ask extra takes, so just we could come in with our pants down(※ ちょっとわかりません ※). ジョージはバスケットボールが大好きだったのでただバスケをするだけのシーンもたくさん撮りましたし、(セットの)すぐ外にはもう一つ、楽しみのためのバスケットゴールもありました。

1995: 絶頂期
ジョン・ウェルズ あの素晴らしい「生と死と」エピソードでトニー・エドワーズとこういうシーンを撮りました。女性患者が出産で亡くなった後、帰宅するドクター・グリーンがただ電車の窓際に座っている。完全な静寂です。そして非常に感動的でした。
ジョージ・クルーニー【1995年】 トニーはエミー賞を獲るべきでした。単純なことです。彼はテレビ最高の番組を一年間率いた。そして「生と死と」のあの演技で賞を獲るべきだったのです。
グロリア・リューベン (ジーニー・ブレ 1995-99) ファーストシーズンの半ばごろ、エリク・ラ・サルのキャラクターの恋愛相手が求められていました。3話か4話程度の出演のはずでしたが、第2シーズンには私はレギュラーになっていました。ジーニーがHIVポジティブになることについて話し合った時、きちんと敬意を持って描かれるだろうとは分かっていました。そして、私の生活の全てが変わってしまうであろうことも。
ミン・ナ(ジンメイ・チェン 1995、2000-04) 私のキャラクターは、最初はアジア系の設定ではありませんでした。テレビに登場するアジア系は少なかったのです。私は今でも、(ERに出たことで)アジア系のコミュニティから評価をしてもらっています。
ローラ・イネス(ケリー・ウィーバー 1997- 2007) ケリー役のオーディションを受けた時、彼女は杖/ステッキ(cane)を使っていると説明されていました。カフ・クラッチ(cuff crutch )( crutch は”松葉杖”。 ウィーバーが使っているようなタイプの”杖”は cane ではなくてcructh)にしたのは私のアイデアです。杖では、それを拾うために絶え間なくかがんだりしなければならないでしょうから。彼女の障害は何?と私が訊ねると、プロデューサーたちは「まだ決めたくないんだ」と答えました。今でも多くの人が私自身が障害者だと思っています。
ジュリアナ・マルグリース ファーストシーズンの「彼我の狭間で」の回に、一番好きなシーンのうちの一つがあります。私のキャラクターはロシアの幼い少女を養子にしようとするのですが、自殺未遂の過去が明らかになって認められません。他の男性と婚約していたにもかかわらず、ハサウェイはロスのドアを叩いて泣き崩れます。彼がどうしたいのかは目の表情でわかるのですが、でも、間違いを犯すべきではない。車を運転して家に向かいながら、「うわあ、これは人を感動させるだろうな」と思ったのを覚えています。
クリストファー・チュラック(エクゼクティブプロデューサー、演出 1994-2009) 「地獄からの脱出」は病院の外を舞台にした初のエピソードで、製作は大掛かりで困難なものでした。撮影は夜間に行われ、水を温かく保つ必要があった。子どもも水の中にいましたし、ジョージは一日15時間も水中で過ごしたのです。骨の髄まで冷え切り、下水管で手に切り傷を負いましたが、彼が不満を漏らすことは決してありませんでした。
スティーブン・スピルバーグ ジョージが水中から少年を抱き上げたあの肖像的なイメージ - ジョージが何になれるのかを知った、あれが映画スターの瞬間です。

1996: 初の降板者
シェリー・ストリングフィールド 毎日毎日、一日17時間働きました!私の人生/生活はNYにあったし、若くて、友人たちが恋しかったのです。
アンソニー・エドワーズ 番組を辞めるというシェリーの決断は、彼女を興味深い女優にしている性質と大いに関係があります:つまり、簡単に予想できるような選択はしないのです。
ジョン・ウェルズ 「OK, やっぱり来たか。ジョージには映画のオファー(※複数形)が来ているし、ジュリアナにも。トニー(エドワーズ)は映画を撮りたいと望んでいるし」と思って、番組の終わりを考え始めました。でもやがて、素晴らしい役者たちが新たに参加してくれるようになったのです。
アレックス・キングストン (エリザベス・コーデイ 1997-2004) 私はイギリスの時代ものドラマのPRでL.Aにいたのですが、イギリスに帰国予定だった日の朝、ERのプロデューサーたちが私と会いたがっているという電話を受けました。彼らと楽しく会話をしました。そして、飛行機がイギリスに着陸した時、プロデューサーたちが私に番組に加わるよう望んでいると、エージェントから告げられたのです。ネットワーク(テレビ局)は「彼女に演技ができるのかどうかもわからないじゃないか。コルセットは着けられるようだが」と言ったと聞いています。でもジョン・ウェルズが私のために戦ってくれて、私はベントンの相手役として番組に入りました。異人種間の関係となるので興味深いだろうと脚本家たちは考えていたんですね。
エリク・ラ・サル ベントンと最も成熟した/大人の(mature) 関係だったのはクレオ(マイケル・ミシェル)だと思っています。彼と有色女性との関係には決してコーデイとの関係ほどの力が注がれなかったのが気がかりでした。当時、立体的な(深みのある?)異性関係(交際)の中で描かれるという「ぜいたく」はアフリカ系アメリカ人には許されていなかったのです。ピーターが常にできる限り多くの面を持てるよう私は非常に気に掛けていましたし、そのためなら戦いも辞しませんでした。
アレックス・キングストン エリクと私はとても気が合いましたし、スクリーン上での関係も成功していたと思いますが、それについて彼は懐疑的でした。彼は、ベントンにとって初めての、うまく行く関係の相手に白人の女性を望まなかったのです。それは黒人女性をけなすことになるというのが彼の考えでした。彼の立場に立ってみればよく理解はできましたが、だからといって私が必ずしも同意したわけではありません。「私たち、もっと大人であるべきべきじゃないの?」と思ったものです。でもやがて、まだアメリカでは偏見がいかに強いかを知ってショックを受けました。エリクや脚本家たちには、ネガティブな(中傷の?)手紙が届いていたのです。

1998-1999: ルーシー登場。グロリア退場。それに、ジョージも
ケリー・マーティン (ルーシー・ナイト 1998-2000) 妹のへザーがループスで亡くなったのは、私がERのキャストに加わる前の週でした。ですから私は妹に付き添っていたICUからすぐに、病院のセットの中で医学生をやることになりました。はじめてのシーンはノア、アレックス、エリク、ローラ、グロリア、ジュリアナ、そしてジョージと一緒でした。ジョージが入ってきた時、私は興奮のあまりクロッグでつまづいて転んでしまいました。でも彼らはみんなそのまま役にとどまり続け、撮影は続きました。
グロリア・リューベン 私のキャラクターの人生にあまり明るさはありませんでした。ウィルスと闘うキャラクターを書くことと、実際にその境遇を象徴する存在になることは別です。自分の役目は果たしたのだと思いました  -  HIVに感染しても、死にゆくのではなく、生きているキャラクターを描いたのです。
ジュリアナ・マルグリース (クルーニーが降板の意思を示したことについて)私はとても心配しました。私のキャラクターの多くの部分が、ダグ・ロスの行動に左右されていたからです。
ウォレン・リトルフィールド 我々はジョージ・クルーニーの降板を見たかったか? いいえ、違います。では、(それを阻止するため)何かできたことがあったか? いいえ、ありませんでした。だからただ、前に進んだのです。
ゴラン・ヴィシュニッチ (ルカ・コヴァッチ 1999-2008) ERはクロアチアではナンバーワンの海外番組でした。だから、この番組に一年間出る気はあるかとプロデューサーたちに聞かれた時、「もちろん!・・でも同じERについて話してるんですよね?」と言いました。ただ、自分の英語力がものすごく不安でした。
モーラ・ティアニー (アビー・ロックハート 1999-2008) 自分のER初日に、私は(ハサウェイの)双子の一人を取り上げたんです。いきなりそんな場所に放り込まれたんですよ!赤ちゃんは死にかけていたので医学/治療の「フリ」が山ほど含まれていて、相当なナルシストでない限りはナーバスになっているヒマはない、と学びました。

2000:マルグリースのお金・・・
ジュリアナ・マルグリース ものすごい非難を浴びました(マルグリースは2,700万ドルの契約オファーを断った)。「彼女、一体何さまのつもり?」みたいな。人々はとても残酷でした。トニーやノア、エリクも同額かそれ以上をオファーされていたけれど、ニュースにはならかなった。彼らはそれを受け入れたからです。それに私が女性で、普通はそんな額は女性にはオファーされないものだったからということもありますが。私は別に映画の大スターになろうなどという幻想を抱いていたわけではないのです。ただ、あと一年、22エピソードというのがもう想像できなかっただけで。私だってお金は大好きです! そしてかなりの額を稼いできましたよ! ERマネーではありませんが、充分満足のいくものです。

・・・ルーシーの死・・・ 
ケリー・マーティン ルーシーがどんな人物なのか、結局私が理解することはありませんでした。彼女が死ぬと聞いた時、「派手にしてね」とは言いました。でも実際に脚本を読んだら、読みすすめるのが本当に辛かった(ルーシーとカーターは妄想を抱いた患者に刺された)。私が死んだ姿を最後に見せたこともすごくショッキングでした。今日に至るまで、両親はあのエピソードを一度も見ていません。

・・・カーターの薬物・・・
ノア・ワイリー 刺傷事件がカーターの薬物中毒の触媒になりました。ジョン・ウェルズは、番組で中毒問題をやるとしたらその可能性の最も低そうな人物にしたかったのです。自分のキャラクターにとって、あれは大きなターニングポイントでした。

・・・そして世界が見たキス
ジュリアナ・マルグリース 私の最終エピソードは極秘で製作されました。ジョージはバーバンク(空港)、私はLAX(空港)から飛んでシアトルで合流し、他に参加したのはジョン・ウェルズと撮影監督だけ。一軒家を借り、私はそのゲスト用バスルームで自分でヘアメークをしたのです。フィルムはウェルズが持ち帰って金庫に入れ、カギを掛けました。NBCは放送当日までそれを見られなかったんですよ。とてもエキサイティングでした。

2001-03: ラ・サル、エドワーズ降板(out)。ウィーバーはカムアウト(outed)
エリク・ラ・サル 8年も同じ役を演じれば、アーチストは他の可能性を追求したくなるものです。私は監督業により情熱を感じていました。そして、私が一度辞めたなら、それは完全に辞めたということです。
ローラ・イネス ジョン・ウェルズにオフィスに呼ばれた時は「うわあ。お払い箱にされるんじゃなければいいけど」と思いましたが、彼はその代わりに何かについて遠まわしな表現を続けていました。それで私は「ああ、ケリーがゲイという意味ですか?」と。そして、すごく良さそうなストーリーだと思う、と彼らに言いました。
アンソニー・エドワーズ ERは素晴らしい経験でしたが、妻と私は子どもたちをL.A.で育てたくはなかった。幸いにも私は(ERで)テレビ界の常軌を逸した額の報酬契約を結べていた一人だったので、私が第8シーズンを終えた後、私たちはニューヨークに転居しました。
アレックス・キングストン トニーの降板に私は動揺し、怒りも感じました。それが彼に最善の道なのは分かっていましたが - 彼は自分のお子さんたちの父親でいたかったのです - 同時に、「私を置いていくなん て! どうやったらそんなことができるの?」という感じでもありました。
ウォレン・リトルフィールド アンソニー・エドワーズは皆を結びつける存在(glue= "のり”)でした。多くの変化の間、ずっと「錨」を提供してくれたのです。
アレックス・キングストン マークの葬儀はまるで番組の大きな章の終わりのように感じられました。一人で木陰に座って泣いたのを思い出します。本当に、本当に、辛かったです。
メカーイ・ファイファー(グレゴリー・プラット 2002-08) アンソニー・エドワーズが死を迎えるためにハワイへ行く前の最後のエピソードが自分の初日でした。キャストによる台本の読み合わせでは全員が泣いていました。「ワオ、この人たち、強い絆を結んできたんだな。自分もこのファミリーに受け入れてもらえるといいけど」という感じでしたね。
パーミンダ・ナーグラ(ニーラ・ラスゴートラ 2003-09) 「ベッカムに恋して」のアメリカ公開直後にジョン・ウェルズと会って、ERに何話か出てみるつもりはあるかと聞かれました。この6年間は私の人生最良の時期でした。
リンダ・カーデリーニ(サマンサ・タガート 2003-09) とてもナーバスになっていた私のER初日、廊下を突っ走るシーンがあり、最初のテイクで思いきりしりもちをついて腰をひねってしまいました。泣きたい気持ちでしたがその代わりになぜか笑い出してしまい、みんなも私につられて笑い始めました。
ポール・マクレーン (ロバート・ロマノ 1997-2003) 私のキャラクターは既に腕の一本をヘリコプターのブレードで切断されていました。左腕だったと思いますが - いや、右だったかも - ともかく、不吉な前兆だと感じました。片腕の外科医にできることは多くはありませんからね。さて、ヘリコプターに片腕を切り落とされた人物の上に、一年後、別のヘリコプターが炎上墜落してその人を殺すなんてことはほとんどありえません。役者という職業的にはがっかりしましたが、センセーショナルなドラマ作りには貢献しました。
アレックス・キングストン 私はあのストーリーラインは全く好きではありませんでした。もしジョークのつもりなら笑えなかったし、手抜きだと思いました。そして、ロマノが殺された時には「みんな辞めていく。私と深い関係を築いてきた人たちは、全員」と考えたのを覚えています。

2004: And It Did
アレックス・キングストン ジョン・ウェルズはとても率直で、「君のキャラクターをこれ以上どうすればいいのか、我々にはわからない」と言われました。新しい脚本家たちは新しいキャラクターたちを導入したかったのです。
シェーン・ウェスト(レイ・バーネット 2004-07) 初めてのシーンはローラ・イネスと一緒でした。自分にあったのは長い髪と2行のセリフ。自分の外見がすごくイヤでしたね。ノアに最初に教えられたことのひとつは、「せりふはちゃんと覚えるように。ここでは待ってはくれないぞ」。要は、ハンパはやるなということです。
スコット・グライムズ(アーチー・モリス 2003-09) 自分の役は仕事(のプレッシャー)に感情面で対処できないドクターのストーリーで、出演は2回分のはずでした。優れたドクターへのアンチテーゼの役だったのです。それと、笑わせる役割でもあった - 赤毛は常にそうと決まってますから。しかし、ポール・マクレーンのキャラクターを殺してしまうと病院には敵役がいなくなったのです。憎まれていたからこそ自分はこの仕事を得られたわけです。やがて「グレイズ・アナトミー」のような奇妙な番組がヒットすると、ERでも少々のやりすぎや間抜けさが許されるようになりました。おバカ、ヌード、妙な話ならスコッティ・グライムズがいるよ、というわけです。

2005-07: カーターは歩き、レイは歩けず、戦争も勃発した
ノア・ワイリー 自分があれほど長期間出演を続けたのには多くの理由があります。自分のストーリーに関して脚本の質は保たれたし、仕事の楽しさも変わらず、ギャラは上がり続けました。しかし最終的には息子の誕生が降板希望のきっかけでした。撮影現場で時計を見て、いるべき場所が他にあると感じたのは初めてのことでした。
ジョン・ステイモス (トニー・ゲイツ 2005-09) 自分は(1999年)マルッチ役のオーディションを受けました。人生最悪のオーディションで、役はエリック・パラディーノが獲得しました。数年後、ジョン・ウェルズが再び自分に番組加入をトライさせようとしたのですが、その時は(主演のシットコム) "Jake in Progress" に出演中で。ある日、ワーナーブラザーズの売店にいると、ジョージ・クルーニーも居合わせていました。ジョージに「いいか、ERに出るんだ。君の人生を変えるだろうから」と言われました。彼には(ER出演で)何が起きたんでしょうね。いい人です。
シェーン・ウェスト 自分は車に轢かれる、と教えられました(レイは両足を失い、番組から姿を消すことになる)。あの最後のシーンの撮影は悲しかった。L.Aの下町の真ん中で一人きりだったし、レイの去り方が辛いものなので落ち込んでいました。
デービッド・ゼイベル(エクゼクティブ・プロデューサー 2001-09) 初めてイラク戦争に関する描写を登場させたのは、シャリフ・アトキンズ演じるドクター・ガラントが召集された時です。誰もそんなものを見たがりませんでした。視聴者はストーリーがERの中にとどまっている時に最もハッピーなのです。
トロイ・エヴァンス(フランク・マーティン 1994、2000-09) 私はパイロット版で小さな役を演じました。フランク・マーティンという名の負傷した警察官です。エイブ・ベンルビ(受け付けのジェリー・マーコヴィック)が1999年に降板した時、受け付けの役をオファーされました。フランクですが、その時には退職した元・警官です。エイブが戻ってきた時、ジェリーとフランクは殴り合いのケンカをしますが、それはある程度セットの実情を反映したものでした。私とエイブがお互いを嫌っていたというわけではありませんが、でも、小さくとも快適な(ERという)仕事は私のものだったのです。おい、列に並べよ!ですね。
アブラハム・ベンルビ 2006年のシーズンフィナーレでジェリーがERで撃たれるまでは、自分が患者になることは回避できていました。ベトベトする血と、穴の開いた作り物の胸とに覆われました。私が死んだのかどうか通りで人々から聞かれましたね。でも実際は "Men in Trees" (2006年から2008年までレギュラー出演したシットコム)に出かけていたのです。

2008-09: スターたちが整列
デービッド・ライオンズ(サイモン・ブレナー 2008-09) (今年一月の自分の結婚式に、パーミンダ・ナーグラは共演者たちを招待した)ジョン・ステイモスがドラムを叩いてスコット・グライムズが歌い、モーラ・ティニーは式を司りました。シュールでとてもおかしな夜でした。
アンジェラ・バセット(ケイト・バンフィールド 2008-09) プロデューサーたちは素晴らしいストーリーラインで誘ってきますし、私は演技力を発揮できる場には飛びついてしまうのです。しかし、「この人たち、私の自伝を検索したの?(バセットと同様、バンフィールドも代理出産の手段で母親になる →→※これは違う気も??)」と思ってしまうこともありました。(実生活とER両方での夫)コートニー(・ヴァンス)と私は恐ろしく、痛みも伴う道を通り抜けてきましたから、「またあの経験をしなければならないの?」と思いました。すべて良い結果になるだろうとわかるように(暗示させて)してほしい頼みましたし、そうなりました。
モーラ・ティアニー アビーを殺せばおもしろいのではと思いましたが、そうできなかったのも理解できます。それでは悲しすぎたでしょうから。
メカーイ・ファイファー 自分のキャラクターは華々しく終わらせたかったのです。それで、プラットは救急車が爆破される事件で命を落とすことになりました。エピソードを見た母が大泣きしながら電話をかけてきました。
ジョン・ウェルズ NBCに3話分の追加を頼まれた時、私は最終回を書いているところでした。病院の取り壊しなどというイベントは安っぽく思えたので、私たちは最後の一年の全体に渡ってキャラクターたちをカムバックさせることにしたのです。問題はほとんどありませんでした。「予定はこの日です。再会に来てもらえますか?」といった感じです。
アレックス・キングストン 過去のキャラクターたちを再登場させると聞いたのはスコットランドにいた時でしたが、ただの噂で信じられないと思いました。でもその後ジョン・ウェルズから電話をもらって、コーデイのためのストーリーを教えられたのです。とてもクレバーで、ふさわしく(正しいと)感じられる内容でした。
ジュリアナ・マルグリース ジョージと私は、ファンへの挨拶と、ワーナーブラザーズとNBCに私たちのキャリアに対しての感謝がしたかったのです。確実にしてほしかったのは、(再出演のストーリーが)安っぽいものでないようにという点だけでした。
アンソニー・エドワーズ ジョージはきっとOKすると思っていましたよ。彼が失うものはないでしょう?
アブラハム・ベンルビ 撮影クルーたちは本当に、本当にジョージのカムバックを喜びました。彼は15年ずっと言っているのと同じジョークを言っていましたね。
アレックス・キングストン 数ヶ月前にエリクと会った時、彼はエピソードを演出しているだけだと言い張りました。再出演を一番渋っていたと言ってもいい人物(=ラ・サル)をジョン(・ウェルズ)が説得したのは大きなお手柄だと思います。
エリク・ラ・サル 私たちのキャラクターの関係に何らかの区切りをつけるため、ノアが私の再出演を望んでいるとは知っていました。
ジョン・ウェルズ ずっと以前に私がもともと考えていたことが、最終回の2時間という長さで実現可能になりました -  病院の24時間シフトを描くというものです。
スコット・グライムズ ノア・ワイリーを除いては、オリジナルキャストと新しいキャストが最終回で顔を合わせることはありません。ファンとしても、オリジナルキャストは一緒に(彼らだけで)見る方がいいと思います。脚本を書いたのはジョン・ウェルズ。あれ以上素晴らしいエピソードは見たことがありません。
ノア・ワイリー 最終章が書かれるのを長年楽しみにしていました。結婚と二人の子どもたちを除けば、ERは僕の人生で最も大切な経験です。後悔は全くありません。テレビの年代記で将来どのような評価を受けるかは待ってみないとわかりませんが、本当に長い期間、素晴らしい医療ドラマであったことは確かです。

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※以下、本文より大きいフォントで目立つようにレイアウトされたコメント

デービッド・ゼイベル ERは、(一つのエピソード中で展開する)複数の/複合的なストーリーラインでテレビ(のレベル)を何段階か引き上げました。どんなエピソードでも、我々は実に多くのキャラクターやストーリーラインの合間を行き来し、次に何が待ち構えているのか視聴者には予想がつきませんでした。当時としてはそれは相当ラディカルな手法でした。現在でも、濃密な複数のストーリーラインを描く番組はそれほど多くはありません。

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ウォレン・リトルフィールド ジョージ・クルーニーは"E/R" というタイトルの別の番組に出ていたこともあります。シットコムで、彼はそれを憎悪していました。でも "Sisters" のエピソードにも多数出演していて、我々は彼を大いに気に入っていました。ジュリアナとジョージの組み合わせは素晴らしかったし、視聴者はいつだって彼ら二人をもっと見たがっていました。

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スコット・グライムズ 番組に入って間もない頃、ノア・ワイリーとの外傷シーンがありました。点滴への何本ものワイヤーが絡まってしまったのですが、ノアはまるでそういう状況ではそうなるのが普通だというように演じ続けたのです。僕らはチューブやワイヤーの下でリンボーダンスでもするように動きながら、同時にセリフを言いました。それより少し前に出会ったばかりのノアに、自分は後で「僕の演技のキャリアで一番クールな瞬間でした」と言いました。あのワンシーンだけで、ノアは番組で必要なことの全てを教えてくれたのです。それに、自分が番組にいられるのも彼のおかげ。彼はプロデューサーたちに僕を好きだと言って、僕を支持してくれたのです。ノアは真のリーダーです。
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