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※2年前にアメリカでのER放送が最終回迎えた際に雑誌や新聞に掲載された、番組を振り返る特集記事のいくつかを、当時、自己流和訳したもののリサイクル投稿です。重複したり似ている部分もありますが、どれも充実の内容で、興味深い発言もたくさん。かなり長いものばかりなので、一本ずつエントリを分けました。

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■NY Times紙

オリジナル:
Post-Mortem: ‘ER’ is Remembered Fondly

コメントを寄せた人たち:
ジョン・ウェルズ(プロデューサー)、クリス・チュラック(プロデューサー)、アンソニー・エドワーズ(マーク)、ノア・ワイリー(カーター)、エリク・ラ・サル(ベントン)、エイブラハム・ベンルビ(受け付けのジェリー)、モーラ・ティアニー(アビー)、リンダ・カーデリーニ(サム)、パーミンダ・ナーグラ(ニーラ)、ジョン・ステイモス(ゲイツ)

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事後分析:愛情を込め思い出されるER
(※post-mortem には「検死」の意も)

無視されたり却下されたテレビのスクリプトの中から生まれた数々の傑作の例の中でも、ERの物語は際立っています。「全てのネットワーク局にパスされたのです。それも2回ずつ」と振り返るのは、番組開始からの長年に渡るエクゼクティブ・プロデューサーのジョン・ウェルズ。「キャラクターの多さに医学用語。ついていくのは無理だと思われたんですね」

1990年代初頭の当時、ERは「トランク・ジョブ」に分類されていました。忘れられた書類の山に長年埋もれているスクリプトのことです。そしてまさにその(「トランク・ジョブ」=トランクの中に置き忘れられている?))状態でもありました。スティーブン・スピルバーグのアンブリン・エンタテイメント・プロダクションの(オフィスの)暗がりのどこかにあったのです。昨年死去したマイケル・クライトンが1974年に執筆した番組のオリジナルバージョンには、ボストンの病院に勤務するの数人の医師たちが、ビル・ブラッドリーを擁するニックス対トミー・ヘインソーンのセルティックスのバスケットボールの試合を聞いているシーンがありました。

1993年、権利を獲得したワーナーブラザーズスタジオが、スピルバーグとクライトンをセールスポイントに(二人のコンビは「ジュラシック・パーク」を大成功させたばかりでした)改めて作品を売り込むことにして、ERは新たに興味をひくことになりました。何度か却下された後、この大物二人の参加を条件に、パイロット版を製作し編成に入れることをNBCがしぶしぶ承諾したのです。

結果的には、最初に懐疑的だった(番組を却下した)人々は、ただの大ヒット作というだけではなく、テレビ史が変わる瞬間を逃すことになったのです。90年代半ば、ERは毎週3,000万人以上の視聴者を獲得し、最高は1998年に記録した4,780万人でした。現在では、最も人気のあるドラマでも2,000万人に届くことはまれです。ERは3年間に渡って全てのテレビ番組中ナンバーワンであり、今でも、"Law & Order:SVU" に続き、NBCでは2番目の視聴者数を保っています。

少なくとも過去3年の間、毎年番組の終了が予想されてきました。今シーズンはじめには、NBCのトップたちはまだ、あと一年更新の可能性を論じていたのです。しかし、ウェルズとワーナーブラザーズのチーフたちは、番組がそれなりの視聴者数をひきつけている間に終わらせるべきだと決断を下しました。

この「口承ER史」記事には、ER出演が最もよく知られることになった多くの俳優たちからのコメントも含まれますが、まずは、スタート時から番組の推進力であったウェルズからです。

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◆始まり

ジョン・ウェルズ:最初にキャスティングされたのはジョージ・クルーニーでした。彼のことは多くの作品で知っていました。Les Moonves(当時はワーナーブラザーズスタジオのヘッドで、現在はCBSのチーフ・エクゼクティブ)がジョージを含むキャストを犯罪ドラマにキャスティングしていたのですが、ジョージは私のオフィスにやって来て、我々の番組(ER)について耳にした、自分は法律(犯罪)ドラマよりこちらの役の方が好きだと言いました。彼はあるシーンを暗記してきていて、それを演じてみせたのです。素晴らしい出来でした。私は喜んで君を迎えたいと言いましたが、ジョージはLesを説得する必要がありました。あちらの作品で彼は主演、こちらではわき役だったのです。ジョージはLesにただ、「自分はこれ(ER)をやりたい」と言いました。当時も今と同じで、ジョージは非常に積極果敢(アグレッシブ)、自分のキャリアの管理にかけてはとても賢明だったのです。

アンソニー・エドワーズ:映画では自分はそれほど大した役は得られませんでした。しかし、(当時)子供向けの映画作品を監督する予定になっていたので、ジョン・ウェルズに「多分これ(ER)には出られない」と言ったのですが、帰宅すると妻とマネージャーが僕をひっぱたいて、クライトンとスピルバーグ、と言いました。一大事なんだと。

ウェルズ:ジュリアナ・マルグリースは”ちょい役”にすぎませんでした。彼女は町(LA)を出ることにしていたので、小さな役を承諾したのです。そして、自分のキャラクターはパイロット版で死んだと思って出発していました。エリク・ラ・サルを決めたのはパイロット版の撮影に入って3,4日過ぎてからでした。まるで13歳の少年のようだったノア・ワイリーは、ウェイターもやっていました。テレビ局側には常に二人の候補者を示すことになっていたので我々は彼を呼んだのですが、使いたかったのは(ノア以外の)もう一人の方だった。しかしノアは(選考が進むにつれ?)どんどん進歩して役を獲得したのです。多くは純粋に運によるものでした。

◆放送枠の獲得

ウェルズ:NBCでの(局の上層部向けの?)パイロット版試写で何があったかについては多くのバージョンが語られているのですが、私の記憶ではこうです。ウォーレン・リトルフィールド(NBCエンタテイメントのプレジデント)が出てきて、「これを放送することはあり得ない」と言いました。Lesは怒って怒鳴り始め、自分たちでもテスト(試写?)をやるからと宣言しました。そのテスト後、私たちはNBCに電話を入れましたが、彼らはその結果を信じませんでした。それで我々はフォーカス・グループ(モニター的視聴者を集めての意見交換会??)を提案し、それがうまくいったので再びテストが実施されました。結果にはショックを受けました・・・ERは過去最高のテスト成績を出した番組となったのです。

ピーター・ロース:私は当時20世紀フォックスにいました。「シカゴ・ホープ」を用意していた我々はプライドではちきれんばかりでした。1994年のアップフロント(※スポンサーやプレス向けに今後の放送予定作品をPRするテレビ局ごとのイベント) のためニューヨークのサンモリッツホテルに滞在していた時、ウォーレン・リトルフィールドから「『シカゴ・ホープ』を見せてもらっていいかな? 我々には『ER』という番組があるんだが。トレードしよう」と電話があり、私はOKしました。その時、部屋でNBAのゲームを見ていたのを覚えています。当時NBAはNBCが放送していて、そのうちこういう予告編(プロモ)が流れ始めたのです。「NBCの木曜10時は、20年間に渡ってテレビで最も素晴らしいドラマの本拠地でした。まずは『ヒル・ストリート・ブルース』、続いて『L.A.ロー』。そして今、新たな傑作シリーズ『ER』がお目見えです」。私はそれらを見ながら思ったものです。「我々は台無しにされた」と。
(※NBCのトップが、ライバル番組を持つ相手がNBA中継を見ていると分かっているタイミングで電話をかけ、バスケ中継の合間に流れるERのプロモを見せるようにした、の意?)

ノア・ワイリー:私たちが初めて(プロモなどの)クリップを見たのはアップフロント会場のアヴァリー・フィッシャーホール。割れんばかりの拍手でした。

エリク・ラ・サル:パイロットエピソード放送の夜、私はみんなを自宅に招待して一緒に鑑賞することにしました。その回を演出したロブ・ホルコムが早めにやって来て、彼と私は(テレビの)音声でいたずらか何かをしようとしたのです。その結果、テレビはなぜかスリープモードになってしまいました。15分ごとに電源が切れるのです。ジョージは、彼(=クルーニー)の出番のたびにそうなるよう私(=ラ・サル)が細工したのだ、と言い続けました。

エイブラハム・ベンルビ(ジェリー):第5話までにこの番組はナンバーワンになると私が言ってもジョージはあり得ないと言うので、我々は賭けをすることにしました。結局第4話でトップを取ったので、私はジョージにまだ5ドルの貸しがあるわけです。これを読めば払ってくれるかもしれませんね。

◆インパクトのあるヒット

クリス・チュラック:私たちは、ERはアクション番組でもあると考えてもいました。バックグラウンドには60人から70人のエキストラがいるわけですが、彼らにはそれぞれ目的があります。時には5ページの長さのシーンを編集なしで撮りました。そのような場合、最後のセリフを担当する俳優には大きなプレッシャーがかかります。もしその人が失敗すれば、最初から全てやり直しになるわけですから。

ワイリー:ERはテレビにおけるストーリーの語り方を変えました。伝統的なA-B-C、3幕構成ではありませんでした。あるストーリーの最後や途中にいきなり放り込まれることも珍しくなかったのです。

ウェルズ:私たちとNBCとの間でのバトルはすべて、血、そして、多くの人が死んでゆくという事実に関するものでした。それまでの病院ものドラマでは、病院の内部を詳しくは見せないのが普通でした。人はそんな所に入りたくはないからです。病院とは人々が死ぬ場所です。しかしそのような(NBCの)苦情は、視聴率の結果が入るとたちどころになくなりました。

ワイリー:アラン・アルダが、“M*A*S*H.” で彼らがやっていたというあることについて我々に教えてくれました。彼らはそれを「根性(ガッツ)チェック」と呼んだそうです。毎週水曜か木曜、ジョン・ウェルズのオフィスにキャストたちがランチに集まり、その週のエピソードをチェックするのです。皆が仲間を呼びます。もしそのエピソード中で大げさな演技をしていたり、首の筋肉を動かすとかでちょっと時間を取ったりしていたら、(吊るし上げを食らって??)悲惨なことになりえます。自分の決めの瞬間までは、一瞬も動きを止めるべきではないのです。絶対標的にされたくなくて、自分はまるで路地裏の猫のようにこそこそと動いていたものです。

ウェルズ:もちろん、キャストたちはみな新たなエージェントやマネージャーからの電話攻勢を受けることになりました。でもジョージとトニーは愚かなことは一切許さなかった。それまでのキャリアで、二人ともすでに多くを見ていたのです。ジョージには、全力を注いでも成功しなかった作品の数々に加えて、もちろん、自分の一族のショービジネス界での経験もあったわけです。トニーは映画界がどのようなものかを身をもって知っていました。

ラ・サル:タイミング(時代)も良かったと思います。放送が始まったのはちょうど、ヒラリー・クリントンが先頭に立ち、ヘルスケア問題が注目を集めていた頃でした。

エドワーズ:救急救命室が多くのアメリカ人にとっての初期治療の場になってしまった時代の始まりでした。とっくの昔に医者に診てもらうべきだった症状を抱えて、人々はERにやって来るのです。

ワイリー:エリクと私のシーンの数々はコミック・リリーフ(笑いを取る場所)でした。自分のキャラクターは「ヘンリー4世」からではと思いました。カーターは名門の出ですが、流れ者や泥棒、酔っ払いたちと一緒に都市中心部(貧しい地域)で働くことを選択した人物です。

◆ローテーションの変化

ウェルズ:結果的には俳優たちの降板は番組の長生きに役立ちました。もちろん、ジョージが第5シーズンで去った時にはとても不安でした。トニー・エドワーズがシーズン8でいなくなった時には、番組はもう絶対に終わるだろうと思いましたよ。

モーラ・ティアニー:私は「第二波」の第一陣でした。ERには8シーズン出演しましたが、世間からは未だに「新入り」と思われていますね。はじめのうち、製作側は私のキャラクターに取っ掛かりを持っていませんでした。私が医学生とナースのどちらになるかは、ジュリアナが番組をやめるかどうか次第でした。彼女はもう一シーズン残ったので私は(まずは)医学生でしたが、その後降板したのでナースになったというわけです。

リンダ・カーデリーニ:ジョン・ウェルズが私を採用したのは水曜日で、次の月曜にはもう仕事をしていました。一体どんな場所に飛び込んだのか、私は全く分かっていませんでした。セットでの初日はとにかく圧倒されました。あらゆる動きにまるで外国語のような技術(医学)用語のダイアローグ。キュー(スタートの合図)が3種類もあったり、医事監修のドクターも「カット!」と叫んだりします。演出家以外が「カット!」を叫べる番組はERだけでした。時には一日で12ページ分を撮りました。映画「スクービー・ドゥー」の時は、一日一ページだったのですが。

パーミンダ・ナーグラ:イギリスでのティーンエイジャー時代、私は番組のファンでした。「ベッカムに恋して」の宣伝でLAに来ていた時にジョン・ウェルズと会って、オファーを出してもらいました。自分の人生がどのように変わっていくのか、全く見当もつきませんでした。

ウェルズ:「ベッカム」でパーミンダを見て、アメリカの実際のERにはインドやパキスタン系のドクターが大勢いるのに、番組には登場させたことがないと気付いたのです。

ナーグラ:自分がインドの伝統や文化を受け継いでいることはとても誇りに思っていますが、ありがちなパターンになるのはいやでした。製作側にはその点に気を配ってほしかったのです。キャラクターとしての自分の成長こそがチャレンジで、それは達成できたと思います。ニーラは数多くの相手と付き合いました。その数では番組の記録を作ったのではと思います!

ジョン・ステイモス:この番組を見たことはなかったんです。(最初の?)ミーティングに出かけた時、自分のキャラクターはモーラ・ティアニーの相手にしてもらえればいいんじゃないかなんて思っていました。彼女はホットですしね。もう既にゴラン・ヴィシュニッチ(が演じたルカ・コヴァッチ)と一緒で、赤ちゃんまでいるとは知らなかったんですよ。実は以前にも出演依頼を受けていましたが、その時は出なかったのです。でも、ある時撮影所の売店でジョージ・クルーニーとばったり会って、「ERをやるべきだよ。素晴らしい番組だし、君の人生を変えるだろうから」と言われました。ERに出て彼には一体何が起こったのか、と思いますね(←ジョーク)。

ティアニー:特に人気番組に出ている場合は、テレビ俳優であることには(映画とは?)違いがあります。それは、人々の家庭の中にいるということなんです。ある意味、より親密な、親しみ深い印象で知られることになります。人は私に普通に近づいて声を掛けてきますよ。私のキャラクターがゴランを裏切って浮気した時(注:シーズン14)には、視聴者は私に腹を立てていました。また、私のキャラクターが禁酒を破ってしまった時期(やはりシーズン14)にシカゴでのロケをして、仕事後に何人かでバーに出かけたことがあります。私がワインを飲んでいると、近づいてきた人たちに「そのワイン、飲んじゃだめでしょう」と言われたんですよ。


◆良き死

ウェルズ:こんなことを言うのも妙な感じですが、でも、今こそがまさにERを終わらせる時期だったのです。我々が番組を非常な誇りに思える間に。しかしそれは同時に、多くの親しい友情を失うことをも意味します。ステージ(撮影セット)上部のプラーク(飾り板)には献辞が記されるでしょう。ステージはERにちなんで改名されることになっているのです。

ステイモス:自分は、キャンセルは時期尚早だと思っています。自分には番組に対するエネルギーもまだまだありますし。スピンオフとして続けることも可能なのでは。

ワイリー:1994年3月17日がセットでの僕の第一日でした。そして最終日は2009年の3月18日です。その間には結婚し、子どもたちが誕生しました。第11シーズンの自分のさよならエピソード後には涙での別れがありましたが、翌週、撮影所に戻って来ました。クリント・イーストウッドが「父親たちの星条旗」のキャスティング(オーディション)をやっていたからです。車を運転して到着すると、(ERの撮影に通って)長年毎日顔を合わせていた警備員がIDを見せるよう言いました。その日そこに来た目的を告げると、彼は道の反対側の訪問者用の駐車場へと僕を向かわせました。僕はそれから撮影所内に入って自分の名前を俳優用の長いコールシートに記し、その時突然理解したのです。これでまた振り出しに戻ったのだと。

エドワーズ:今後常に”ER”が自分のミドルネームになることは分かっていますし、それで構いません。私はリチャード・トーマスととても親しいのですが、彼も、たとえ何を演じようと自分はずっと「ウォルトンズ」のイメージで見られることを知っています。でも彼にこう言われました。「型にはめられたって構わないんだよ。それをうまくやれさえすれば」
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