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■Emmy誌(エミー賞を主催する団体発行の雑誌)

★コメントを寄せた人たち

プロデューサー:
ニール・ベア、ジョン・ウェルズ、クリス・チュラック、デビッド・ゼイベル

俳優:
ジョージ・クルーニー(ダグ)、ジョージャ・フォックス(マギー・ドイル)、アレックス・キングストン(コーデイ)、ミン・ナ(チェン)、シェリー・ストリングフィールド(スーザン)、パーミンダ・ナーグラ(ニーラ)、ローラ・イネス(ウィーバー)、CCH パウンダー(ヒックス)、マイケル・ミシェル(クレオ)、ジョン・ステイモス (ゲイツ)、ポール・マクレーン(ロマノ)、シェーン・ウェスト(レイ)、シャリフ・アトキンス(ガラント)、マリア・ベロ(アンナ)、ウィリアム・ H・メイシー(モーゲンスタン)、グロリア・リューベン(ジーニー)

ジュリアナ・マルグリース(キャロル)、ディーザー・D(マリク)、エレン・クロフォード(リディア)、ゲディ・ワタナベ(ヨシ・タカタ)、リンダ・カーデリーニ(サム)、ローラ・セロン(チュニー)、イヴェット・フリーマン(ヘレエ)
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スタッフ全員を至急呼び出せ!
~ERを振り返る~


15シーズンと、122のプライムタイムエミー賞ノミネートの新記録の後、医療機器の警告音は止まり、点滴も落ちなくなり、ストレッチャーが走ることもなくなります。しかし、4月2日にシカゴのカウンティジェネラル病院のドアが閉まる前に、プロデューサーや出演者たちが、他の何ものでもない/唯一無二のこの医療ドラマを振り返ります。

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【イントロダクション】

■ニール・ベアー
1994年にマイケル・クライトンによるERのスクリプトがジョン・ウェルズから送られてきた時、私はハーバード大医学部の4年生で、小児科での研修への応募を考えていました。

クライトンがスクリプトを書いたのはそれより25年近くも前、彼のハーバードの医学生時代。スティーブン・スピルバーグとそのチームに暗がりから見出されるまでの間、それ(スクリプト)はずっと眠り続けていたわけです。今では、スピルバーグのオフィスのトランクの中にしまい込まれていたという伝説(レジェンド)になっていますが。

スクリプトを読んだ私は圧倒され、「これは私自身の生活そのものです」とウェルズに言いました。「全部私たちの話ですよ。ドクターにレジデント、医学生たち・・・。ガラスの点滴ボトルはもう使わないこと以外は今と同じだ」と。苦闘、痛み、それにドクターになる意気込み。クライトンは本当によく分かっていて、私の生きていた世界の真実をとらえていました。

医学部での災難や勝利についての百ほどもの経験談を抱え、私は5月にLAに飛びました。(ノア・ワイリー演ずるジョン・カーターが(患者に)嘔吐されたり小便を掛けられたり、採血を失敗したりといったことは私自身の経験です)。我々は13話分を採用(ピックアップ)してもらえればと思っていて、ストーリーを分割するための私の滞在は長くても2ヶ月の予定でした。

脚本家は6人いて、私たちは毎日7,8時間もの間会っては、自分たちが一体何をやっているのか把握しようとしました。我々はそれまでの医療ドラマがやってきたようにメインのストーリーひとつだけを描くのではなく、多くのストーリーを語ることを選択しました。あるものには始まりがなく(ただ、外傷治療の真っ只中に飛び込みます)、別のものは結末がありません(ICUに上がった患者のその後について、二度と知ることはなかったりします)。

リスクが大きく、ややこしく、非常に恐ろしいようで、しかしワクワクする仕事でした。ベントン、グリーン、ロス、ルイス、ハサウェイ、そしてカーターのキャラクターたち について、まるで自分たちの親友のようによく知っていると思えるようになるまで何時間もひたすら話し合い続けました。番組が隕石のような(何十年に一度の? 衝撃的な?)ヒットになると夢見たりはしておらず、ただ、3位に終わるような恥ずかしい思いはしたくなかったというだけです。

ERという番組が、視聴者がそれまで見たこともないようなものだったいうことに気付いた瞬間を忘れることはないでしょう。

雰囲気をつかませるため、ウェルズは脚本家たちを連れて新しいセットを歩きました。私はそのリアルさに打たれました。まるでボストンの自分の病院に戻ったように感じられたのです。広いけれども驚くほど親密さを感じさせるこのセットなら、ストーリーを語れると確信しました。新しいステディカムでドアを通り抜けながら廊下から治療室へとドクターたちを追っていけましたし、ウェルズが好んで「ペースとペーソス」と呼ぶのをものを持てたのです。

ERの成功の秘密が何だったのか断言はできません。その後の長年に向けての種を一年目に蒔いてくれた脚本家たちの仲間意識と豊かなイマジネーションに負う所が大きいのは確かです。それに、いわく言いがたいマジックを持っていたキャストたち。それらが絶妙にかみ合ったのです。

彼らは患者の命を救うためならなんでもするドクターでした。ヒーローでした。しかし、過ちも犯す人間であり、時にはひどい失敗もやらかしました。番組は、脚本家、演出家、役者、それに、並外れて才能にあふれたクルーたちの完璧な結婚だったのです。彼らこそが、私たちに、マイケル・クライトンが四半世紀近く前に作り出したキャラクターたちへの関心を持たせてくれたのです。

ER後、医療ドラマは全く変わりました。

患者の治療の複雑さをダイアローグに反映させられる、本職のドクターの脚本家を使ったのは我々が最初でした。今では全ての医療シリーズがそのスタッフにドクター兼脚本家を抱えています。役者たちに医療行為を教え、リアルさを出しました(ワイリーは縫合がうまいし、エリク・ラ・サルはプロ並みにone-handed knotsが結べます)。

ウェルズは我々に多くのルールを破らせてくれ、自由とは実に心地よいものでした。手探り状態でしたが本当に楽しかった。

(現在 「Law&Order 性犯罪特捜班」のエクゼクティブ・プロデューサーを務めるベアーは、ERの元・エクゼクティブプロデューサー)

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【プロデューサー】

■ジョン・ウェルズ(エクゼクティブ・プロデューサー)
初のシカゴロケに出かけたのは94年の夏、ERの放送開始前でした。警備は全くつかず、誰も我々に注意を払ったりしなかったのでその必要もなかった。ジョージ(・クルーニー)とトニー(・エドワーズ)は道路でシーンを演じ、道行く人たちは我々が通行の妨げになるとイラついていました。

4ヵ月が経ち、番組の放送開始後に前と同じようなものだろうと思ってまたシカゴに行きました。しかし、私たちがウォータータワー近くで撮影をしていると地元ラジオが報じると、4000人もの人がミシガンアヴェニューに見物にやって来て、叫んだり、役者たちに近づこうとしたのです。

その時も警備はなく、演出家や運転手、プロデューサーらが大観衆を制止しなければなりませんでした。見物人たちは叫び続け、ジョージとトニーに近づこうとします。それで我々は、大通りからあるレストランの裏口へと退却し、ドアを放り捨てて(?)、路地へと逃げる羽目になりました。予定していたシーンは結局撮影できず、その夜、この番組はヒットするかもしれないと実感したのです。

■クリストファー・チュラック(エクゼクティブ・プロデューサー兼演出)
2年目の序盤に、病院の外では初の撮影であり、多くのアクションが含まれる「地獄からの脱出」を撮りました。ダグ・ロスのジョージ・クルーニーが、嵐の夜、氾濫する排水路に取り残された12歳の少年を救い出すのですが、二人はものすごい水圧で貯水池に流されてしまいます。

撮影は三夜連続で行われました。全員が15時間もの間びしょ濡れで、クルーニーが水面下に飛び込んで少年を見つけるという部分を撮っていました。彼が水中から姿を現した時、画面では見えないヘリコプターからの強烈なスポットライトが、意識のない少年の体を抱きかかえたクルーニーを照らすという非常に英雄的なショットです。その中で、クルーニーは降り続く雨の中を少年を抱えて岸まで走ってから心肺蘇生術を施すことになっていました。

私は、もっと早く岸まで行くようにと何度もの撮り直しのたびにジョージに指示を出し続けました。そして彼はとうとう「キャスティングされてるのは150ポンド(70キロ近く)もある子だぞ!」と怒鳴り返してきました。私の返事は「君は一番優秀な子役を望んでいると思っていたがね。体重が軽い子ではなく」でした。彼がギラギラとした目つきで私を睨みつけたのを覚えていますし、もし水から出てこちらに来られる状況だったら、私を殴るだろうとも分かっていました。しかし、プロである彼は、まさにプロに徹してとうとうそのショットをやり遂げました。

■デービッド・ゼイベル(エクゼクティブ・プロデューサー)
ダルフールを舞台にした一連のエピソードでの避難民キャンプのシーンは、南アフリカの辺鄙な地域でロケを行いました。ストーリーの見た目や雰囲気にリアリティを出すためです。

ある時、メカーイ・ファイファーと小さな屋根の下で話したことを思い出します。二人とも衣類は汗でびしょ濡れ、朝10時でゆうに(華氏)100度(=摂氏38度近く)以上あり、小規模な砂の竜巻が周期的に巻き起こっては、撮影用に建てられた難民の住まいを覆うタープを切り裂いていました。

エキストラたちが壊れたセットの破片を追いかけ、第二アシスタントディレクターがメガホンを使ってアフリカーンス語で指示を叫び、ノア・ワイリーは頭を振り、少し離れた場所で砂を蹴ってはひよこたちを歩かせて(?)いました。

メカーイは私の方を見て、「ねえ、デイブ。君が僕を雇ったのは、シカゴの病院で働く都心部(スラム)(出身の)のドクターを演じさせるためだろう?」と言い、私はうなずきました。「じゃあ、このいまいましいカラハリ砂漠の真ん中で、僕らは一体全体何をやってるんだ?」 私は一瞬考えましたが、出てきたのはどんな場所でも変わらぬプロデューサーのしょげたため息だけでした。「ひどい一日を過ごしてるんだよ」

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【医師役】

■ジョージ・クルーニー(ダグ・ロス)
ERで人生が変わったのは我々6人(オリジナルキャスト)だけではありませんでした。何百万もの人たちのテレビの視聴習慣を変えたのです。脚本の質の高さの証です。番組の一員でいられたことを、これ以上ないほど誇りに思っています。

■ジョージャ・フォックス(マギー・ドイル)
アンソニー・エドワーズが初めてERを演出した時、彼は第2幕(※CMにはさまれたエピソード中の二番目のパート。10分か15分ぐらい?)全体をステディカムでの長廻しワンショットだけで撮り切るという壮大な/野心的なアイデアを出しました。集合した私たちは午前中すべてをリハーサルに費やしました。まるで舞台劇のように。

シーンの舞台はERで、レギュラーとサブキャストのほぼ全員、それに何人かのゲスト出演者たちが関係するものでした。合計およそ30人ほど。私の記憶が正しければ、カメラはローラ・イネスのキャラクター、ドクター・ウィーバーを追って5、6個の部屋といくつかの廊下を移動しました。

私の出番は最初と最後にありました。ERで一番緊張するのはシーンの最後にくる出番です。走り回るストレッチャー、医療処置・・・、紆余曲折を乗り越えて他のみんながうまくこなした場面の最後に登場して、テイク全部をダメにしてしまったら - 何度もやってしまいましたけど - 落ち込むものです。そのプレッシャーを、まるまる一幕分の最終地点にいることへと置き換えてみてください! その日の始まりは正気を失いそうなほど緊張していました。

そのシーンすべてを撮ったのは、有名な(伝説的な)ステディカムの使い手、デイブ・Chameidesです。何度かの撮り直しを経て、あらゆる方向へドアや部屋を通り抜け、前進し後進したとてつもなく長い撮影のラストコーナー近くをようやく曲がり、アンソニー・エドワーズが「カット!」と叫ぶと、デイブはカメラの重さで崩れ落ちました。その日のスリルとアドレナリンを私は決して忘れません。私たちは、一時間ドラマの中の一幕全体を6時間かそこらで撮り終えたと言えることになりましたし、その出来も素晴らしかったと思います。

■アレックス・キングストン(エリザベス・コーデイ)
クリントン政権時代に、私たち俳優や脚本家、プロデューサーや家族たちは、ホワイトハウスのディナーに招待されるという名誉にあずかりました。冬のことで、ホテルに戻ってから、雪で飛行機が飛ばず帰れないと分かったのです。それで、全員が一室に集まって遊び始めました -私がそそのかしたのかも! 延々と続いたイカれたシャレード(ジェスチャーゲーム)でした。普段使っている表現法を奪われた脚本家たちが、体を折り曲げて妙な形を作っていた姿を忘れないでしょう。笑い転げたし泣いたしで、絆を結ぶ奇妙な体験となったあの夜のことは忘れられません。

■ミン・ナ(ジンメイ・チェン)
私の最初の妊娠はストーリーに織り込まれ、私のキャラクターの出産シーンの撮影が行われたのは妊娠9ヶ月近くの時でした。キャストもクルーも、本当に破水してしまうのではと心配していました! 初めての妊娠で、私は出産がどんなものか全く分かっていなかったので、ドクター・チェンは指示されたとおりに叫んだり汗をかいたりしましたが、私はちょっと大げさでドラマチックすぎたのではと感じていました。

私たち夫婦はhypno-birthing (呼吸法、リラックス法などの"自己催眠”?テクニックで痛みを和ら、アメリカでは一般的な麻酔を使わない自然出産)のクラスを受講し、落ち着いてスムーズな、禅のような出産を想像していました。でも、薬なしで20時間もの陣痛の後、痛みがあまりにひどいので私は麻酔を懇願しました! 美しい娘ミカエラの誕生は、さらにもう10時間の陣痛と、その後2時間もいきんだ後でした。その翌日、演出のジョナサン・カプランに電話して、出産シーンを撮り直すべきだと言ったんです。「叫び方が小さすぎたわ!」って。

■シェリー・ストリングフィールド(スーザン・ルイス)
最初の読み合わせが今でも強烈な思い出です - はじめてみんなと会ったこと、全員が感じていた、このプロジェクトに取り組む興奮。私はマイケル・クライトンの大ファンでその本は全部読んでいたので、彼と同じテーブルについてそのスクリプトを読むのは本当にエキサイティングでした!

■パーミンダ・ナーグラ(ニーラ・ラスゴートラ)
最も強烈な思い出のひとつは、ガラントの葬儀のシーンからのものです。シカゴのとても寒い日でした。撮影に使われたのは本物の軍人たちです。折りたたまれたアメリカ国旗のイメージと、空への発砲(弔砲)を忘れはしないでしょう。世界で実際に起きていることだと思えば、それは非常に感情的な瞬間でした。

■ローラ・イネス(ケリー・ウィーバー)
最初の外傷シーンのことは鮮明に思い出します。前の晩に追加のページ(書き直しの脚本)を渡されたのです。銃創のギャングの少年から、鈍的外傷のフットボール選手へと患者が変更されていて。とても難しい医療用語を覚え直すだけでパニックなのに、その心膜穿刺を本物らしく見せなければならないんです!

一番思い出に残っているのは、みんな信じられないほど感じがよく、おもしろかったこと。私がゲストとして参加した2年目、番組は人気沸騰中でした。とても怖かったけれど、みな素晴らしい人たちでした。外傷室でのトニー(・エドワーズ)はとても自然でユーモアがありました。あの書き直しを見た私は「コード・ブラウン」(おもらし)だったに違いない、と彼がジョークを言ったのを覚えています。

あの最初の外傷シーンは全くの挑戦でした。そのペース、非常に具体的でリアルな医療(行為)、技術(医療)用語・・・。私は手袋をはめるのすらやっとでした。手袋がめちゃめちゃだったので、手をカメラのフレームより下に隠そうする自分を意識しながらも、こう思い続けたのを覚えています。「とにかく続けて。もしかしたら、何をやってるのか全然分かっていないって誰にも気付かれずにすむかもしれない」。

そのシーンはうまくいき - すごいスリルでした - 私はその後、血まみれのガウン姿でステージ11の外に立っていました。頭に重傷を負ったエキストラが携帯で自分のエージェントと話していて、丘を背景にしたピンクとオレンジの空がゴージャスでした。当時の撮影監督リチャード・ソープが手すりにもたれてタバコを吸っていて、まるでカウボーイのようでした。彼は「よくやったね、キッド」と言ってくれ、私は古い映画のワンシーンのようだなと感じました。素晴らしい一日だった。

■CCH・パウンダー(アンジェラ・ヒックス)
キャストたちのおかげで、時に、一番素晴らしい思い出はセットの外でのものになります。ERでの2年目、私と夫はセネガルに小さな現代博物館を作っていました。ばかげたアイデアだったのですが、企業や政府の助成金なしに、自分たちの力だけで。それで少し助けてもらえないかとキャストに頼んでみたのです。ジョージ(・クルーニー)とノア(・ワイリー)は Lorraine Toussaint とともにマリブのCarol Levyの家に向かい、私たちは裏庭で詩の朗読会を開きました。

数は少ないけれども素敵な(ラブリーな)聴衆が集まって、寄付をしてくれました。俳優たちがその才能を立派な目的のために分け与えることをとても誇らしく思いました。素晴らしいのは、彼らがアフリカや世界各地の深刻な問題に目を向けさせるため、才能を提供し続けていること。今は会うこともほとんどありませんが、彼らのことは生涯の友人だと思っています。・・・ところで、博物館は完成し、15年になりました。ER、ありがとう。

■マイケル・ミシェル(クレオ・フィンチ)
自分にとってのER撮影初日に向け、私は連日連夜準備をしました。やりすぎというぐらいに。初めてのシーンは、ややこしくてペースの速い外傷シーンで、本物の新生児まで一緒だというもの。17回以上の撮り直しの後、初日に自分がいかにナーバスになるかについては備えていなかったと気付いたんです。20回目に近づき、エリク・ラ・サルが来て私に言いました。みんなも聞いていました。「落ちこまなくてもいいよ、僕の初日だって似たようなものだった。でも急いでもらえるかな? 今日は家に帰らなきゃならないんだよね」って。私は笑い、それからようやくシーンを終えることができました。20回以上の気の遠くなるような取り直しの末、幸いにも、やっと緊張がほどけたというわけでした。

■ジョン・ステイモス(トニー・ゲイツ)
自分の(主演)番組" Jake in Progress" に出ている間にERにも2話、ゲストとして参加しました。"Jake" が打ち切られてERのレギュラーになれた時はすごくハッピーでしたね。

■ポール・マクレーン(ロバート・ロマノ)
エリク・ラ・サルは、すごく暖かくて社交的な人物にもなれるのですが、撮影現場では周囲からある程度の距離をおきたがっているようでした。演じるキャラクターと似たようなね。私は他人の仕事のやり方を尊重する人間ではありますが、そんな彼を崩そうとするのは楽しかった。成功したのはたった一度。オペ室でのシーンの時、彼とボクシングを始めたのです。彼は懸命に自制しようとしていましたが、私がちょこまかと動きまわりつづけるのでついに我慢できずに笑い声を上げました。もちろん、すぐに立ち直っていましたがね。でも、私はそれで大満足でしたよ。

■シェーン・ウェスト(レイ・バーネット)
13シーズンの終わりに、何週間も居場所が分からなかったレイをニーラが別の病院で見つけましたが、彼が大きな事故に遭い、両足を切断していたことも分かったんです。撮影がとても難しいシーンで、その日はみんな目に涙を浮かべていたものです。でも、そのシーンがどれほどパワフルなものになるのか、自分たちは理解していなかったと思う。ファンがどれほど動揺することになるのかも。

■シャリフ・アトキンス(マイケル・ガラント)
自分が番組に加入した際にキャスト、クルー双方から受けた、温かい心からの歓迎を今でも懐しく思い出します。最も思い出に残る忘れがたい親切は、週末にシカゴの家族に会いに行く自分に、アンソニー・エドワーズがプライベートジェットでの移動をオファーしてくれたこと。とは言っても、ただ気まぐれにシカゴ出身の自分に無料フライトをオファーしてくれたのではなくて、彼もそこに用事があったのですが。僕の記憶が正しければ、その週末彼はシカゴでハーフマラソンを走ることになっていたのです。お子さんや友人たちも同行してね。僕がそこの出身だと聞き、送ると言ってくれたのです。

それは予想外にありがたい贈り物となりました。重い病の床にあった母方の祖父と過ごす時間を自分に与えてくれたのですが、祖父は僕らがカリフォルニアに戻るフライトの最中に亡くなったのです。ありがとう、アンソニー。そして、自分にとっての初めての大きな仕事のひとつをすごい経験にしてくれた、キャストやクルーの皆さんにも感謝します。

■マリア・ベロ(アンナ・デル・アミコ)
最もお気に入りでわくわくした経験は、第4シーズンのライブエピソードです。ジョージがヨチヨチ歩きの病気の幼児を抱っこしてその母親と話すシーンがあったのですが、子どもが(泣き)叫び始めて、ジョージのセリフが聞こえなくなってしまったので、私は彼からその子をひっつかんでキャンディを口に突っ込みました。音響係たちはとても嬉しそうでしたよ!

■ウィリアム・H・メイシー(デービッド・モーゲンスタン)
自分がモーゲンスタンを演じたのは三年ほどの間です。一番好きなのは、心臓発作を起こした私のキャラクターが患者になった時のことですね。あるシーンで私は鎮痛剤でラリってしまうんですが、演出のクリス・チュラックを説得し、持っていたリモコンを床に落として、ローラ・イネスが部屋に入って来た時に、彼女が私のお尻をはっきり見るようにしたのです。クリスはためらっていましたが結局は折れ、でもこう釘を刺しました。「スリーショット(three shot ・・・ちょっと意味が分かりません)にだけはしないようにしてくれよ」。


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【ドクターアシスタント役】

■グロリア・リューベン(ジーニー・ブレ)
一番鮮烈な思い出は撮影セットの外で作られました。それは薬局でのできごと。歯磨きなどを選んでいた私に若い男性が近づいてきて、ていねいに言いました。「すみません、お邪魔するつもりはないのですが。ただ、自分はHIVポジティブで、昨夜あなたの番組を見て治療を始めたいと思ったことをお伝えしたいのです。ありがとうございました」。薬局で私と出会った時、その人はドクターのところへ行く途中だったのです。

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【看護師役】

■ジュリアナ・マルグリース(キャロル・ハサウェイ)
ファーストシーズン、キャロルが婚約者に彼とは結婚できないと告げ、でも結婚パーティーは続行された時のことが鮮やかな思い出です。私はステージ上で、みんなに感謝し、同時に、結婚式をぶち壊したことを謝罪するスピーチを始めようとして、その場に並んだ素晴らしい顔、顔を眺めたのです。

それはシーズン最後のエピソードで、全員が集まっていました - ロスの下町のどこかのロケ地で、真夜中で。全ての目が私を見つめ返してきて、私はまるで我が家にいるように感じました。顔をひとつひとつ確かめていくと、そこにはキャロルにとって唯一の相手のドクター・ロスがいて、ジョージと私は一瞬目が合いました。その時こう感じたのを覚えています。「このストーリーにはもっともっと語るべきものがあるし、その一部でいられてなんて幸せなんだろう」。

■ディーザー・D(マリク・マグラス)
ジョージ・クルーニーと自分は多くの楽しい時を過ごしたものです。ライブエピソードの撮影では、互いにシャツを引っ張り合って、相手を遅れさせようとしました。ヒジをぶつけ合ったりもして、でもそれからすばやく位置に付くのです。

僕らはいつも、バスケの決着をつけられるよう、自分たちのシーンの撮影は大急ぎで済ませたものです。セットのすぐ外にコートを作らせたのはジョージなんですよ。「お前、次のシーンあるか?」とコールシートをチェックして、なければすばやく着替えてバスケをし、再び戻ってくる。ノア・ワイリーも一緒にやったし、隣のフロアから "Family Matters" (1989-1998)のジャリール・ホワイトも。時はみんなで - ジェイミー・フォックスもです -ワーナーブラザーズの大きなコートに行って、本格的なゲームもプレイしました。口論して、ケンカになって、でも、仕事に戻るとまた友達になるんです。

■エレン・クロフォード(リディア・ライト)
私のキャラクターにはファーストシーズンにボーイフレンドが登場しました。当時、夫(俳優 Michael Genovese)はマウイ島である番組のパイロット版に出ていたのですが、それがピックアップされなかった(本放送に至らなかった)ので、そのボーイフレンドアル・グラバースキー巡査部長役にキャスティングされたのです。シーズン3までには二人は付き合う段階は済ませて結婚しているはずでした。

ようやく、私が激怒しながら登場してくるというエピソードがありました。ウェディングドレスの入った箱を持っていて   - 偽バージン衣装、と呼んでいましたが - 「結婚なんかしない!」と言い、それを返品すると言うのです。そして誰かに「ねえ、今、患者に ”臨終の秘跡”を施しに牧師が来てるけど・・・」と教えられ、私たちはERで結婚したのです。ウェディングドレスにナースの靴を履いていたんですよ。夫ともう一度結婚するのは楽しかったです。たくさんのレースと長いヴェールの、より大きな(ゴージャスな?)ドレスを着てね。

おかしかったのは、私が少しでもじっとしていると、ジョージがコーヒーカップをヴェールのすその上に置いてしまうこと。彼がそれをやっている現場をキャッチして手の内を読みましたが、最後にもう一度、まんまと3,4個のカップと電話を置いてくれました。とてもおもしろい一日でした。

■ゲディ・ワタナベ(ヨシ・タカタ)
ある時、私は輪状軟骨の圧迫という手技でドクター・グリーンをアシストしました。もちろんほとんどの場合、演じている手技が一体何なのか私はさっぱり分かっていませんでしたが、それらをもっともらしく見せることは役者の醍醐味です。上手くできればの話ですが。

それは、ノドに挿管チューブを通すのを助けるために首の声帯のそばを押さえるというものでした。撮影を終え、一ヶ月ほどして、私たちがそこで見せた手技を見て患者の命を救えた、というあるドクターからの手紙を受け取りました。プロのドクターたちが番組に関わっていることがいかに素晴らしいか、それで気付いたのです。

■リンダ・カーデリーニ(サマンサ・タガート)
私のER撮影初日、ランチタイムに私のトレーラー(控え室)のドアをノックした撮影セットのドクター(医療監修の?)はヒステリックに泣いている私を見つけました。いつどのようにメスを手渡せばいいのかも、モニターのアラームは実際には鳴らないことも、混乱状態に見せかけるために、シーンがすばやくきっちりと振付けられていることも、私はまるきり分かっていなかったのです。ERはそれまで経験してきたどんな仕事とも全く違うものでした。

ドクターは優しく笑って、新しく入った人がみな同じ経験をするのを見てきたし、その日の終わりまでには君は医学のスーパーヒーローみたいに感じるようになるよと言ってくれました。彼は実に正しかったけれど、それでも、私は常に新人たちに同情してきました。

■ローラ・セロン(チュニー・マーケイズ)
シカゴからLAに1995年一月に引っ越した私は、その4月にははじめてのERのエピソードに出ていました。ファーストシーズンの最後から2話目です。自分の最初のシーンのことは覚えています。才能に恵まれ、ルックスもいいキャストたちと顔を合わせ、その回を演出したクエンティン・タランティーノと仕事ができたことを。

その前のクリスマス、私はシカゴでERを見ながら「この番組に出たいな。シカゴが舞台だし、よく分かるもの!」と言っていたのです。キャストやクルーたちと自分がこんなに親しくなり、テレビ史の一部になれるなんて全く想像していませんでした。ラティーノのキャラクターをポジティブなイメージでずっと演じてこれたこともとても誇りに思っていますし、それを可能にしてくれた脚本やエクゼクティブの皆さんに感謝しています。

■イヴェット・フリーマン(ヘレエ・アダムス)
第3シーズンごろまでには prosthetics (手足、内臓 etc、撮影に使う人体のパーツの作りもの/模型)担当のアーチストたちは素晴らしく腕を上げていて、赤ちゃん(の人形)までも含めて全てが本物のように見えました。トニー・エドワーズと一緒だったある心臓切開手術シーンを思い出します。私がアンビュー・バッグ(Ambu bag 人工呼吸用バッグ)を握って空気を注入すると、心臓が脈打ち、肺が上下に動き、血液が流れるのが見えるというもの。その間、特殊効果係のボブ・タークがストレッチャーの下という見えない場所にいるわけです(様々な操作をするため)。私たちは協力しあい、一心同体となって(同調して)動きました。全てが本当にリアルでした。私の心の中にある目では、今でも開かれた心臓が見えますよ。

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